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 又八は、土のついた青銭を、掌のうえでかぞえた。西瓜売りにわたして一個の西瓜と交換した。それを抱え込むと、またしばらく、石に倚りかかったまま、ぐんなり俯向うつむいているのである。

「げ……げ……」

 突然、片手をつくと、草の中へ牛みたいに唾液だえきを吐いた。西瓜は膝から転がり出している。それを取ろうとする気力もないし、食べようという気で買ったわけでもないらしいのだ。

「…………」

 にぶい眼で、西瓜をながめていた。眼は虚無の玉みたいに何の意力も希望もたたえていない。呼吸いきをすると肩ばかりうごいた。

「……畜生」

 呪う者ばかりが頭脳あたまへ映ってくる。お甲こうの白い顔であり、武蔵たけぞうのすがたであった。今の逆境へ落ちて来た過去を振顧ふりかえると、武蔵がなかったらと思い、お甲に会わなかったらと彼はつい思う。

 過あやまちの一歩は、関ヶ原の戦いくさの時だ。次に、お甲の誘惑だ。あの二つのことさえなかったら、自分は今も、故郷ふるさとにいたろう。そして本位田家の当主になって、美しい嫁をもち、村の人々から、羨望せんぼうされる身でいられたに違いない。

「お通つうは、怨んでいるだろうなあ……。どうしているか」

 彼の今の生活は、彼女を空想することだけが慰めだった。お甲という女の性質がよくわかってからは、お甲と同棲しているうちから、心はお通へもどっていたのだった。やがてあの「よもぎの寮」と呼ぶお甲の家を、ていよく突き出されたような形で出てしまってからは、よけいにお通を思うことが多かった。

 その後また、よく洛内らくないの侍たちの間で噂にのぼる宮本武蔵なる新進の剣士が、むかし友達の「武蔵たけぞう」であることを知ると、又八はじっとしていられなかった。

(よしっ、俺だって)

 彼は酒をやめた。遊惰な悪習を蹴とばした。そして次の生活へかかりかけた。

(お甲のやつにも、見返してやるぞ。――見ていやがれ)

 だが、さしずめ適当な職業は見つからなかった。五年も世間を見ずに、年上の女に養われて来た不覚のほどが、はっきり身に沁みて分ったが、遅かった。

(いや、遅かあない。まだ二十二だ。どんなことをしたって……)

 と、これは誰にでも起せる程度の興奮だったが、又八としては、眼をつぶって運命の断層をとび越えるような悲壮をもって、この伏見城の土木へ働きに出たのだった。そしてこの夏から秋までの炎天下で、自分でもよく続いたと思うほど労働をつづけていた。

(おれも、一かどの男になってみせる。武蔵のやる芸ぐらい、俺に出来ない法はない。いや、今にあいつを尻目にかけて、出世してみせてやる。その時には、お甲にも黙って復讐できるのだ。見ていろここ十年ばかりに)

 だが――と彼はふと思うのだった――十年経ったら、お通は幾歳いくつになるだろうと。

 武蔵や自分よりも、彼女は一ツ年下だ。すると今から十年経つうちには、もう三十を一つこえてしまう。

(それまで、お通が、独り身で待っているかしら?)

 故郷のその後の消息は何も知らない又八だった。そう考えると、十年では遠すぎる、少なくもここ五、六年のうちだ。なんとしても身を立てて、故郷へ行き、お通に詫びて、お通を迎え取らなければならない。

「そうだ……五年か、六年のうちに」

 西瓜を見ている眼に、やや光が出てきた。すると、巨おおきな石の向う側から、仲間の一人が、肱ひじを乗せていった。

「おい又八、何をひとりでぶつぶついってるんだ。……オヤ、ばかに青い面つらして、げんなりしているじゃねえか。どうしたんだ、腐った西瓜でも喰らって、腹でも下痢くだしたのか」

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